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知的公共圏をめぐる |
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この大聖堂は19世紀初めナポレオン戦争の勝利を記念して建立が決まった由緒ある建築物である。最終的完成は1883年。だが、1931年、スターリンは大聖堂を爆破。跡地に「ソビエト宮殿」の建設を計画した。ソビエト宮殿は屋上に巨大なレーニン像がそびえ立つ高さ400メートル以上の世界一の建築物となるはずであった。しかし、戦争で建設は中止。ソ連邦崩壊後の2000年、大聖堂は元の設計に忠実に再建されたのである。 数奇な運命を辿った救世主キリスト大聖堂は、ソ連邦解体の立役者だったエリツィン氏の葬儀の場所として、ふさわしいと言えるかもしれない。一方、ソビエト宮殿の大レーニン像は実現しなかったのだが、大聖堂の北300メートルほどのところ、クレムリンのすぐ裏手にいまだに堂々とレーニンの名前がついた建物がある。「レーニン図書館」である。
図書館は人びとの持つ知識を構造化し展開してゆく有力な社会装置のひとつである。「レーニン図書館」の蔵書数はおよそ1,700万冊、日本の国会図書館の規模の二倍に相当する。このような装置は一朝一夕に構築できるものではない。共産主義時代に、永年にわたりソビエト社会の知的公共圏を牽引してきた「レーニン図書館」を現代ロシアが克服するにはなお多大な時間と知的資源の投入を必要とするであろう。
前回紹介したネット上のフリー百科事典・ウィキペディァは、2001年、ジミー・ウェールズとラリー・サンガーの二人によって創設された。 しかしながら、万人が作り万人が利用するという高い理想を掲げたウィキペディァ事業が本格化してゆくにつれて、専門的知識・資格を持つ専門家の役割をめぐって、ウェールズとサンガーの考え方の違いが表面化した。 サンガーの考えでは、万人の参加は良いことだが、各項目の編集については専門性の高い人びとにより強い役割を与えなければやがて収拾のつかない混乱状態に行き着いてしまうというのだ。
ウェールズの方も態度を硬化させ、そもそも「共同創設者」などと言うのは言い過ぎであり、事業主としてのウェールズから見れば、サンガーは所詮「雇われ人」に過ぎないと言う。 |
サンガーからすれば、そもそも主任編集者としてウィキペディァの爆発的発展への礎石を構築したのは自分なのだという自負もある。一時は、ウィキペディァにおける「サンガー」の項目の重要部分が消滅するという事態にまで発展した。しかし、現在の記述は二人は「共同創設者」という線で落ち着いている。 ウィキペディァを去ったサンガーは、模索すること足かけ5年、2006年9月、ついに独立してウィキペディァの理想を実現することを宣言する。もうひとつのウィキペディア、「シティゼンディアム(citizendium)」の誕生である。
シティゼンディアム(citizendium)はシチズン(citizen)とコンペンディアム(compendium)とを組み合わせた造語である。意味は「市民がきちんととりまとめたもの」(The Citizen’s Compendium)である。 サンガーはこの言葉の発音にこだわりがある。中央の”zen”を強調してこれを「ゼン」と読ませるのである。よって全体の読みはシティ「ゼン」ディアムとなる。迷いを断つ「ゼン(禅)」にかけているのであろうか。 シティゼンディアムは、ブラウザ上の共同作業の仕組みである「ウィキ」を利用するフリーな百科事典を目指している点ではかつての「同志」ウェールズ率いるウィキペディアと変わらない。異なる点は「信頼性」を前面に打ち出していることだ。信頼性を担保するために、「ゆるやかな専門家による監督」を採用している。さらにウィキペディアと異なり徹底した「実名主義」をとる。匿名による参加を認めていない。 2007年3月25日、シティゼンディアムは試験段階を終えて、公開された実際の作業段階に入り、「ベータ版」の開始を宣言した。サンガーによれば、項目は1,000を超え、寄稿者は数百名を数えるが、編集者たちがその名に値すると判断するまでは「百科事典」とは呼ばないという。
知識の獲得において専門家の果たしている役割が重要であることは言うまでもない。しかし、専門家の役割は常に両義性をはらむものである。それは専門家の持つ特権と関係がある。専門家は知識を獲得するためのさまざまな道具立てを特権的に所有している。専門家も生きた人間であり、こうした特権を擁護したいと考えても不思議ではない。さらに、こうした特権擁護のために自分たちのスポンサーに仕えるために知識そのものを操作したいと考えてもおかしくはない。 専門家の役割を重視するサンガーも彼らの役割は権威的でトップダウンのものであってはならず、あくまで助言者・支援者に徹するべきだと述べている。専門家にこそ要求されるべき「高い自覚」という考え方がそこにはある。 ではこうした「高い自覚」は何によって担保されるのであろうか。それは万人の参加によるほかはないであろう。そもそも知識そのもののつきない源泉は万人の感覚的経験にあるのだから。 「レーニン図書館」もかつては、少なくとも建て前の上では、「人民による支配」を支援する役割を担っていたはずである。だが現実には「人民を支配する」象徴になり果て巨大な墓標と化してしまった。知的公共圏における特権の否定・克服はデモクラシーそのものの実現の鍵を握る人類永遠の課題である。 |
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